こんにちは。マコト(@makoto_ringo)です。
5回目のりんごの勉強です。
前回はこちら↓
【サンふじ】りんご界のスーパースターなりんご|りんごの品種を勉強する#4
今までに出会ったりんごたち>>>りんごの品種一覧
今回は『国光』という日本のりんご界のおばあちゃん的存在なりんごの紹介です!
【目次】
国光とは
親の掛け合わせ:不明
収穫時期:11月上旬~中旬
生まれたところ:アメリカ
おもな産地:青森県、長野県
大きさ(重さ):200g前後
皮の色:鮮やかな赤色。
国光の特徴
日本のりんご生産の基幹品種として明治時代から約100年にわたり、広く栽培されたりんごです。
収穫時期は11月で、収穫前に雪が降り積もることがあるため、青森県では『雪の下』と呼ばれています。
豊産性で長期保存が可能なりんごで翌年の6月頃まで貯蔵可能です。
しかし、4月以降は、冷蔵が必要になります。
甘みと酸味のバランスが良くてほんのり香りがします。
味は少し薄めでやさしい味がしました。
知名度が高い品種の『ふじ』の交配親です。
甘みの強い『ふじ』などにシェアが移行し、現在は生産数が減ってきています。
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国光の歴史
『国光』はアメリカが原産
『国光』はアメリカ・バージニア州が原産です。
第3代アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソンさんは、親しくしているフランス大使のエドモン=シャルル・ジュネさんからりんごの枝をもらいました。
トーマス・ジェファーソンさんはその枝をアメリカ・バージニア州アマースト郡のカレブ・ロールズ果樹園に託して、栽培と普及を図りました。
やがて、18世紀までにこのりんごは『Ralls Genet(ラルス・ジュネ)』の名前でたくさん栽培されるようになりました。
『ラルス・ジュネ』はフランス語風の呼び名なので、英語化されて『Ralls Janet』、『Rawls Jennet』(ロールス・ジャネット)などと呼ばれるようになりました。
明治時代に『紅玉』ととも日本に導入
『国光』が日本に来たのは1871年(明治4年)です。(1868年の説もあります。)
北海道開拓使によって、『ジョナサン(紅玉)』などとともに導入されました。
マコト
【紅玉】お菓子作りにピッタリなりんご|りんごの品種を勉強する#2
導入当初は『ロールス・ジャネット』という名前では普及せず、地域により『四九号』、『晩成子』、『雪の下』、『キ印』、『霜潜』などいろいろな名前で呼ばれていました。
1900年(明治33年)に『国光』と命名されました。
『国光』は日本の気候風土に適した品種で、明治時代における青森県のりんご7大品種の筆頭格でした。
しかし、1963年(昭和38年)にバナナの輸入自由化が始まり、日本産のりんごの価格が下落しました。
この暴落でりんご生産者たちは、デリシャス系のりんごや『ふじ』の品種更新を急ぎ、『国光』は主要品種の座から降りました。
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国光さん
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現在は『ふじ』の人気に押され、市場から見ることは少なくなりました。
インターネット販売など入手方法は限定されています。
主な食べ方
生で食べてもおいしいです。
また、煮崩れしにくいので焼きりんご、アップルパイなど調理にも向いています。
今日のりんご
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